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ヴィヴィアン・リー

【風と共に去りぬ】スカーレット・オハラという女の一生

ヴィヴィアン・リー
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【風と共に去りぬ】

Gone with the Wind 映画史上最高傑作のひとつであり、ファッションに関わる仕事をするものにとっては「クリノリンスタイルのバイブル」です。

1936年に出版された、マーガレット・ミッチェルの生涯で最初で最後の小説『風と共に去りぬ』は世界的ベストセラーとなりました。そして、デヴィッド・O・セルズニックが映画化権を獲得し、その後3年半(撮影準備2年半、88時間のフィルム撮影7ヵ月、編集4ヵ月半)の歳月と390万ドルの製作費をかけて本作が作られました。

1939年12月15日に公開され、社会現象になるほどの世界的ヒット作となりました。そして、1940年のアカデミー賞で、カラー映画として史上初の作品賞、監督賞、主演女優賞(ヴィヴィアン・リー)といった主要部門を独占することになりました(10部門を受賞)。ちなみに日本での初公開は1952年9月4日でした。

1939年という年は、9月1日にナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦がはじまった年でした。そんな時代に、テクニカラーで作られた作品だったのです。

1970年代に入り、テレビの時代に突入する中、1974年、NBCはMGMに500万ドルを支払い、本作のテレビ放送権(一度きり)を獲得し、1976年に初放映されました(日本では1975年10月8日と10月15日に、6億円で放送権を獲得した日本テレビ の『水曜ロードショー』で前後編に分けて世界で初めてテレビで放映され33.0%の視聴率を記録しました)。

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あらすじ

かつて在りし騎士道と綿畑の地。人はその地を古き良き南部と呼んだ。南北戦争前夜の南部とその後を舞台に、絶世の美貌を誇るスカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)の戦争に翻弄された激しい女の半生を描いた一大絵巻。

1861年、南北戦争前夜、ジョージア州アトランタのタラ(実在はしない地)のアイルランド系移民の父と、アメリカ南部のフランス系名家出身の母を持つ気性の激しい大農園主の娘スカーレット・オハラは、16歳で青春を謳歌していました。

翌日、ウィルクス家で園遊会が開催されます。しかし、スカーレットは、意中の男性であるアシュレー・ウィルクス(レスリー・ハワード)が、従姉妹のメラニー(オリヴィア・デ・ハヴィランド)との結婚を発表するという話を聞きすっかり落ち込んでいました。

「私が彼を愛していることを知らないから間違った決断をしたのよ!」という思いに囚われていたスカーレットは、アシュレーに想いを打ち明けるのですが、その想いを受け止めてはもらえませんでした。独りぼっちになったスカーレットは、癇癪を起こし、花瓶を投げました。

そんな姿を見ていた一人の男がいました。彼の名はレット・バトラー(クラーク・ゲーブル)。彼は自分の心に忠実に情熱的なスカーレットに強く惹かれるのでした。

南北戦争がはじまる前に、スカーレットは、アシュレーへの当て付けとしてメラニーの兄チャールズと結婚しました。そして、アシュレーもチャールズも出征することになるのですが、チャールズが戦死し、スカーレットは未亡人になるのでした。

三年間の喪を服す事が嫌で嫌でしょうがないスカーレットは、メラニーのいるアトランタで生活することになりました。そして、チャリティーバザーでレットと再会するのでした。喪服姿でレットとワルツを踊り、スカーレットは、会場の人々を驚かせるのでした。

やがてゲティスバーグの戦いの後、南軍の敗北は色濃くなり、アトランタが北軍に包囲される中、メラニーはスカーレットの助けにより出産し、さらに窮地をレット・バトラーに助けられた二人は、町からの脱出に成功したのでした。

そして、レットは戦地へ赴くことを決意し、スカーレット一行はタラに戻る決意をし、別れるのでした。すっかり荒廃したタラで、地位も財産も母も失い精神を崩壊した父と姉妹、そして元奴隷のマミーとポークと再会するのでした。

南軍は敗北し、アシュレーがみすぼらしい格好で戻ってきました。完全に自信喪失している彼とメラニーと重税をかけられた土地を守るために、意を決して、スカーレットはレット・バトラーに金を借りに行くのですが断られてしまいました。

意気消沈した帰り道、スカーレットは、妹の婚約者フランクが事業に成功したことを知り、見事、略奪婚を果たし、貧困からの脱出に成功するのでした。アシュレーを部下として雇い入れ、フランクの事業を女主人として仕切るようになります。

しかし、フランクもあるトラブルで急死し、スカーレットは再び未亡人となってしまいます。そして、遂にレット・バトラーの求婚を受け止め、大富豪になるのでした。二人の娘・ボニーも誕生しました。

でも、ずっとずっとアシュレーをスカーレットが愛し続けていることを知ったレット。そして、ボニーの死。さらに、メラニーも死んでしまうのでした。

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ファッション・シーンに与えた影響


19世紀半ばの南北戦争前後のアメリカ南部を舞台にした一大絵巻『風と共に去りぬ』が、ファッション・シーンに与えた影響は絶大です。特に以下の二点を上げることが出来ます。

  1. 当時のクリノリン・スタイルを忠実に再現している
  2. 登場人物の立場や感情と、衣装のカラーシルエットを見事にリンクさせている=スタイリングの基礎講座

クリノリン・スタイルの美しいシルエットを映像を通じて体験することは、ファッションの本質を哲学するためにとても重要なことです。しかし、何よりも重要なのは、やがてクリノリンが失われ、肉体にフィットしていく現代ファッションの萌芽を感じ取れる所、つまりは、何度見ても、新しい発見があるところが、この作品が〝永遠に色褪せないファッションのバイブル〟と言われる所以なのです。

作品データ

作品名:風と共に去りぬ Gone with the Wind (1939)
監督:ヴィクター・フレミング
衣装:ウォルター・プランケット
出演者:ヴィヴィアン・リー/クラーク・ゲーブル/オリヴィア・デ・ハヴィランド/レスリー・ハワード