ジュ ルビアン|再会、もう一度、あなたに逢うまでの遠い約束の香り

その他のブランド
Ⓒ WORTH
その他のブランド
この記事は約8分で読めます。

ジュ ルビアン

原名:Je Reviens
種類:オード・トワレ
ブランド:ウォルト
調香師:モーリス・ブランシェ
発表年:1932年
対象性別:女性
価格:不明

スポンサーリンク

〝オートクチュールの父〟シャルル・フレデリック・ウォルト

Ⓒ WORTH

Ⓒ WORTH

オーボエ協奏曲のアダージョのように、この香りは緩やかなオーケストラの序奏で始まる。ガラスのランタンに照らされた断片的な主題が、星明かりの静寂へと一つずつ消えていく。

再び静寂が訪れる。すると突然、唯一無二の「ジュ ルビアン」の音色が現れる。緑がかった乳白色の、光る蔦のように、それは踊るように絡み合い解け、変調が次第に鮮明になっていく……しかしその時、香水は驚異的な切り札を繰り出す。あらゆる芸術の中で、終わりを強制されない唯一の芸術だからだ。「ジュ ルビアン」の旋律は、かすんでいく中でも歌い続ける。ジャンルや時代を超越した古典である。

ルカ・トゥリン

19世紀半ばまで、マリー・アントワネットの〝モード大臣〟だったローズ・ベルタン(1747-1813)という例外を除いて、一般的にファッション・デザイナーの社会的地位はとても低いものでした。あくまで王侯貴族のために衣服を仕立てる裁縫師にすぎませんでした。そんな状況を一変させた人がいました。その人の名をシャルル・フレデリック・ウォルト(1825-1895)と申します。

〝オートクチュールの父〟と今では呼ばれている彼は、1825年にイギリスのリンカンシャーで生まれました。弁護士だった父親は11歳の時に失踪し、極貧の中、百貨店→生地メーカー(Gagelin & Opigez)で7年間働き、20歳でわずか5ポンドの所持金でフランス語が全く話せない状態でパリに引越ししました。

パリの生地屋で仕立て職人として修業した末に、顧客の注文に応じて服を仕立てていた今までの洋服店とは全く違った形の洋服店を、1858年にパリのラペ通り七番地で始めました。この洋服店は、あらかじめウォルト自身がデザインした服を、マネキンではなく、モデルに着せて、顧客に見せ、購入してもらうという、ファッションショーの手法を最初に用い、現在の洋服店の原型となりました(そして、1868年にパリ・クチュール組合が設立されることになる)。

ちなみにウォルトは、1920年代にマドレーヌ・ヴィオネが流行させることになるバイアスカットをドレスの生地の裁断のために最初に用いたデザイナーでした。

何よりも、フランス第二帝政における皇帝ナポレオン3世の妻、ウジェニー皇后(ウジェニー・ド・モンティジョ、1826-1920)のクリノリンドレスの宮廷御用達のデザイナーになり、「シシィ」の愛称で知られるオーストリアのエリザベート皇后や上流階級のヴァンダービルト家やロスチャイルド家など多くの上流階級の顧客を持つようになりました。以後、彼からお針子は〝クチュリエ〟と呼ばれるようになりました。

しかし1870年に始まる普仏戦争(~1871)により第二帝政は崩壊し、経営の危機に瀕します。かくして1880年代終わりに、ウォルトは年間に2回季節ごとのコレクションを発表し、今のラグジュアリー・ファッションの土台を築き上げ、見事復活を果たしたのでした。

1895年にウォルトは死去し、父の芸術的な才能も譲り受けていた息子のジャン=フィリップ・ウォルトが後を継ぎ、ポール・ポワレもデザイナーとして働きました。そして、20世紀に入り、ウォルトは香水販売にも乗り出すことになりました。

スポンサーリンク

〝さよならは言わないで〟の次に誕生した〝再会〟という名の香り

Ⓒ WORTH

Ⓒ WORTH

「ジュ ルビアン」は私を魅了した。その骨格を形作るのは、No.5のようにアルデハイドの花輪ではなく、どこか繊細な素肌の香りを想起させる、水仙の煙るような香りを際立たせる、謎めいた特異なアコードだった。

私にとって「ジュ ルビアン」は1950年代のフレグランストレンドを予見した香りです。香水ボトルも秀逸で、それは王族の青であり、夢と郷愁、夜と愛の青だった。

ジャン=クロード・エレナ

1924年に甥っ子(もう一人の息子ガストンの子)のジャック・ウォルトが、ウォルトの専属調香師になるモーリス・ブランシェ(1890-1953)と共にパルファン・ウォルトを創設しました。1932年に発売された「ジュ ルビアン」は、シャネルNo.5と同じ、フローラル・アルデヒドの香りとして、モーリス・ブランシェにより調香されました。

フランス語で〝私は帰ってくる〟という情緒溢れる香水名と、ルネ・ラリックの摩天楼の高層ビルのようなボトル・デザインによって伝説的な香りとなりました。当初はボタン型の栓でしたが、1952年に取り外しにくいので、円筒状のリブ付きの栓に変更されました。

その名のインスピレーションの源は、ナポレオンが戦場からジョセフィーヌに送った次のような手紙からでした。「Je reviens en trois jours, ne te lave pas.」(=三日後に帰るから、体を洗わないように)。

最初の5つの香りは、5つの香りで奏でる〝愛の物語〟として作られているため、それぞれの香水の名前をつなげてみると一つのロマンティックなメッセージが浮かび上がってきます。「ダン ラ ニュイ」(1924)=「夜更けに」、「ヴェール ル ジュール」(1925)=「夜明けに」、「サン アデュー」(1925)=「さよならは言わないで」、「ジュ ルビアン」(1932)=「私は帰ってくる」、「ヴェール トワ」(1934)=「あなたのもとに」。

五つの作品の中で「ダン ラ ニュイ」は「ジュ ルビアン」と並び立つほど人気がありました。

アメリカでは、第二次世界大戦中、「ジュ ルビアン」は、ヨーロッパ戦線で戦っている兵士たち(下士官から将軍まで)が、フランスで休暇を過ごしている時に購入し、愛する祖国の恋人へ贈る香水となりました。

1947年までに世界的なベストセラーとなり、「No.5」(1921)や「ソワール ド パリ」(1928)と並ぶ名声を得ました。ちなみに日本では「再会」という訳で紹介され、美輪明宏さんも愛用していました。

スポンサーリンク

約束を信じて、星降る夜に抱きしめたい、水仙の香り

Ⓒ WORTH

Ⓒ WORTH

それは古典的な、抑え気味のフローラル・サリチレートのアコードだった。アスピリンによく似たサリチレートは奇妙で、なんともいいようのないほんのりスモーキーなフローラルグリーンの香りを漂わせ、フローラルアコードに神秘的な効果を与える。トップノートには、当然のごとく贅沢なほど高価なジャスミンを使用している。残香のすばらしいこと。この種の香水はニトロムスクがなければ始まらない。

ルカ・トゥリン

情熱とメランコリーの香り〝私は帰ってくる〟は、きらめく高級石鹸のようなアルデハイドと共に、やって来るシトラスとスパイスの輝きからはじまります。ジャック・ウォルトの強い意志で生み出されたこの香りには、細部に渡るまで最高峰の素材が妥協なく使われていました。

すぐにジャスミン、チューベローズ、イランイラン、オレンジ・ブロッサムの華やかな伴奏と共に、しなやかなグリーンと気品あふれるパウダリーさが混ざり合った、身震いするほど艶やかでしずやかな水仙の香りが広がってゆきます。アイリスがアクセントとして、素顔の水仙の美貌に、メイクアップを施しています。

やがて、サンダルウッドとインセンスを中心としたベチバー、ニトロムスク、オークモスのスパイシーでウッディな香りが、メランコリーに煌めく花々に溶け込み、ひとまとめになり、うっとりするような官能的なパウダリーな余韻で包み込んでくれます。不思議なことに甘さは全く感じられません。

音楽で言うと、昔のテレビのコマーシャルやショッピングモールや喫茶店で、刷り込まれたような、思わず口ずさみたくなる、美しいクラシック音楽の調べに身を委ねるような、またはチェルシーの唄的な、妙に安心感と心地良さを生み出してくれる〝グリーンがやわらかく煌めく〟のです。

この香りの特徴は、1898年に初めて合成されたサリチル酸アミルの使用にあります。クローバーや牧草のようなとても華やかで甘く、緑がかった香りがあり、土臭い余韻を持ちます。

1995年に低予算で再調香され、高級香水から低価格の香水へと格下げされ、ドラッグストアで手に入る安っぽい香水のイメージが定着しました。2004年に「ジェ レヴィアン クチュール」としてピエール・ブルドンにより、限りなくオリジナルに近い形でリニューアルされ、ルカ・トゥリンが四つ星評価を与えています。

日本の歌謡曲で、この香りのイメージを伝えると竹内まりやさんの「もう一度」や薬師丸ひろ子さんの「セーラー服と機関銃」、ケツメイシの「また君に会える」でしょう。

スポンサーリンク

香水データ

香水名:ジュルビアン
原名:Je Reviens
種類:オード・トワレ
ブランド:ウォルト
調香師:モーリス・ブランシェ
発表年:1932年
対象性別:女性
価格:不明


トップノート:コリアンダー、アルデハイド、レモン、オレンジ
ミドルノート:オレンジ・ブロッサム、ヴァイオレット、ローズ、水仙、イランイラン、ジャスミン、ヒヤシンス、アイリス、カーネーション
ラストノート:ベチバー、ムスク、トンカビーン