グラフ
Graff イギリスの宝石商グラフの歴史は、当時22歳だったローレンス・グラフ(1938-)によって、1960年に創業されたことからはじまります。彼は15歳で宝石商の見習いになりました。 そんな彼の宿願は〝見えないダイヤモンド〟を作ることでした。それは〝ダイヤモンドの香り〟を作ることです。
そのためまず2018年4月にインターパルファム(ヴァン・クリーフ&アーペル、ロシャス、ジミー・チュウなどの香水ライセンスを持つ)とライセンス契約を結びました。そして、インターパルファムの敏腕クリエイティブ・ディレクター、ウォルター・ジョンセンに、4つの〝ダイヤモンドの香り〟=グラフのシグネチャー・フレグランスを生み出して欲しいというミッションを与えたのでした。
早速、ウォルターは100人以上の調香師に試作品を依頼し、175の試作品を手にしました。ちなみに彼は、ヴァン・クリーフ&アーペルやブシュロンといったハイジュエラーのフレグランスをクリエイティブしてきました。
約2年の創作期間を経て、膨大な試作品の中から6種類の香りからなる「レセディ ラ ロナ フレグランス コレクション」が2020年3月にロンドンのハロッズで発表されたのでした。そして、このコレクションが、2023年2月についに日本上陸を果たしました。現在、グラフ銀座本店、グラフ心斎橋店の2店舗でのみ発売されています。
グラフのダイヤモンドの品質とカットと研磨へのこだわりと同じように、フレグランスにも細心の注意を払い、最も優れた香料だけを使用し、フレグランスがグラフの価値観に反映されるようにすることを絶対条件に6種類の〝ダイヤモンドの香り〟を生み出してもらいました。
ローレンス・グラフ
謎に包まれた男・ローレンス・グラフ
私は少年の頃からダイヤモンドに夢中でした。私はまさにダイヤモンドに関わる仕事をするためにこの世に生まれてきたのだと心から信じています。
ローレンス・グラフ
1938年にローレンス・グラフは、ロンドンの貧民窟で生まれました。ローレンスが決して少年時代について語りたがらないほど、彼の過去には謎に包まれています。ただひとつだけ確かなのは、彼の一族は、帝政ロシア時代にユダヤ人に対するポグロムから逃れるため故郷のキーウを離れ、ロンドンに辿りついたということです。
ローレンスは、学校での成績があまりにも悪かったため、両親に退学をすすめられ、15歳の時、セントラル スクール オブ アーツ アンド クラフツで学びながら、工房の見習いとして働き始めました(そして、わずか3ヵ月で解雇されました)。
やがて、工房を転々としながら18歳で経験豊かなジュエラーと共に起業し、自身の工房を立ち上げ、そこでジュエリーの修理ビジネスをスタートしました。そして、あるダイヤモンドディーラーと出会い、小さな宝石33石を60ポンドで前払いで支払う商談の機会を得たのでした。
この33石のダイヤモンドを使い、33本のダイヤモンドリングを制作するのではなく、33石すべてをひとつのリングにセットし、ダイヤモンドの大きなきらめきを生み出すエレガントなリングを制作したのでした。このジュエリーが彼のサクセスストーリーのはじまりとなったのでした。
〝キング・オブ・ダイヤモンド〟女王陛下の宝石商
ローレンス・グラフは、22歳の頃、1960年にグラフを創業し、その2年後、最初の2つの小さな店舗をロンドンにオープンしました。1966年には、デビアス社のダイヤモンドインターナショナル・アワードに参加し、ロバート・トーマスがデザインしたダイヤモンド、エメラルド、アメジストを使用したリボン・ブレスレットが大賞を受賞し、グラフは一躍脚光を浴びることになりました。さらに1973年には宝石商としてはじめてクイーンズ・アワードを受賞しました(1977年、1994年、2006年と合計4度受賞)。
1966年からはじまるブルネイの皇太子ハサナル・ボルキアとの交流によりグラフは興隆していきました。さらに1974年、2つの店舗を閉鎖し、ロンドンのハロッズの近くに本格的なブティックをオープンしました。
1993年には、宿願のニュー ボンド ストリートに移転しました。そしていよいよ世界のダイヤモンド・ジュエリーの半分が販売されているアメリカ市場への進出に乗り出すのでした。まず最初にイギリス国外にオープンしたサロンは、2000年にオープンしたモナコのオテル ド パリのサロンでした。現在では世界に50店舗を超えるサロンを展開しています。
「青いヴィッテルスバッハ」を打ち砕いた男
2008年12月10日に「青いヴィッテルスバッハ」と呼ばれる35.56カラットのブルーダイヤモンドを、予想落札額900万ポンド(約12億円)を大幅に上回る1640万ポンド(約22億5000万円)で、ローレンスは落札しました。
2年後、ローレンスは、神聖ローマ帝国皇帝も輩出したドイツ・バイエルンの名家ヴィッテルスバッハ家が所有していたこの82のファセットを持つブリリアントカットのダイヤモンドを、3人の選りすぐりのダイヤモンドカッターにより、リカットと再研磨を施し、「芸術品を破壊し、モナリザをよりうつくしくしようとしている」と非難されました。
最終的に31.06カラットまで目減りしたのですが、クラリティ評価のグレードはIFに引き上げられました。そして新たに「ヴィッテルスバッハグラフダイヤモンド」という名をつけたのでした。
2013年にローレンス・グラフは、ジュエリー業界への生涯にわたる貢献が評価され、OBE (大英帝国勲章) を授与されました。 今ではグラフは「キング・オブ・ダイヤモンド」として広く知られています。
グラフは、特にダイヤモンドジュエリーだけにこだわり続けているハイジュエラーです。そのこだわりは、原石の調達から徹底しており、大粒、極上、希少なダイヤモンドを使用することに全精力を注いでいます。
さらにグラフでカットとポリッシュを専任とする職人には、高度な精密さと忍耐力が必要とされます。世界で最も美しい宝石の隠された輝きを原石から解き放つことができるのは、まさにそういったグラフの匠の職人技と彼らのビジョンによるものです。そこに時を超えた美を創造する力=デザイン性により、不滅の輝きが誕生するのです。
ローレンスの財産は45億ドル以上であり、南アフリカで採掘に従事する南アフリカ・ダイヤモンド・コーポレーションの経営権を所有しています。グラフのショールームでの平均購入価格は40万ドルです。それはカルティエ、ハリー・ウィンストン、ヴァン クリーフ&アーペル、ティファニーなどを遥かに凌駕する平均購入価格です。
史上二番目に大きなダイヤモンドの原石から生み出された6種の香水
「レセディ ラ ロナ」とは、2015年11月にボツワナ共和国で発見された、史上2番目に大きなダイヤモンド原石の名です。1109カラットのLesedi La Rona(ザ レセディ ラ ロナ)は、原石が発見されたボツワナのツワナ語で「私たちの光」を意味します。
2017年9月、ローレンス・グラフはこのダイヤモンドを5300万ドル(約59億円)で購入しました。そして、この途方もないダイヤモンド原石の分析、カット、研磨のプロセスには18ヶ月以上かかり、その石から「グラフ レセディ ラ ロナ」と呼ばれる世界最大のスクエアエメラルドカットダイヤモンド(302.37カラット)とその他66個にカットされました。
ボトルデザインはこの302.37カラットのダイヤモンドからインスパイアされ、ファセットカットされたクリスタルの香水ボトルに収められました。
この香りは、〝数十億年もの間、密かに磨き上げられてきた奇跡のダイヤモンド〟のいまだかつてない美しさを、6つの極上の香りで表現しているコレクションです。
ちなみに史上最大のダイヤモンド原石は、1905年に南アフリカで発見されたカリナンです(イギリス国王エドワード7世へ66歳の誕生日の贈り物として贈呈された)。
このコレクションは、日本には2023年2月に上陸し、グラフ銀座本店、グラフ心斎橋店の2店舗でのみ発売されています。
最後にグラフには、幻のフレグランスが存在します。それは20年前にVIPにのみ販売された「Unmistakably(紛れもなく)」という名の香りです。
グラフの香水一覧
2020年
レセディ ラ ロナ Ⅰ (ジュリー・プルシェット)
〝上質-タイムレス-洗練〟ピンクペッパー、アイリス、レザー
レセディ ラ ロナ Ⅱ (パスカル・ゲラン)
〝透明感-魅惑-多面〟ネロリ、華北山椒、カシュメラン
レセディ ラ ロナ Ⅲ (ジェローム・エピネット)
〝ロマンティック-豊潤-ミステリアス〟サフラン、ローズ、パチョリ
レセディ ラ ロナ Ⅳ (ステファン・ニルセン)
〝神秘-魅惑-夢中〟マルコナアーモンド、マヌカハニー
レセディ ラ ロナ Ⅴ (ジェローム・エピネット)
〝太陽-輝き-魅惑〟ヘリオトロープ、イランイラン、バニラ
レセディ ラ ロナ Ⅵ (ジノ・ペルコンティノ)
〝輝き-魅惑-官能〟ワイルド・オーキッド、ウード、ジャスミン