究極のフレグランスガイド!各ブランドの聖典ページ一覧にすすむ

『風と共に去りぬ』Vol.2|スカーレット・オハラ役のオーディション

ヴィヴィアン・リー
ヴィヴィアン・リー
この記事は約7分で読めます。
当サイトではアフィリエイト広告を利用しています

「あなたこそ、スカーレット・オハラだ!」

1936年6月に出版され世界的ベストセラーとなった、マーガレット・ミッチェル(1900-1949、1926年から1929年にかけて書いた彼女の唯一の小説)の風と共に去りぬ』の1037ページの原作の映画化権を、プロデューサーのデイヴィッド・O・セルズニックは、翌7月に早速獲得しました。

彼は主人公のスカーレット・オハラ役は、他のあらゆる映画の配役よりも特別だと考えました(レット・バトラーは、最初からクラーク・ゲーブルで考えていた)。それは大スターのための映画にしたくないと考えていました。

そして、9万2000ドル(現在の価値で約3億円)の費用をかけ、2年半を費やし、1400人の面接と90人のスクリーンテストを行い、ウエスト43cmのスカーレットを演じるに相応しい女優を捜したのでした。しかし、結局女優が決定されずに1938年12月10日の土曜の夜に、最初の撮影が開始されたのでした。

撮影はアトランタの大火のシーンからはじまりました。『キング・コング』(1933)と『小公女』の古いセットを改装して、南北戦争時代の建物に見えるように作り変えられていました。

スカーレットは三人に絞られていた。ベティ・デイヴィスは希有の才を広く認められ、事実最高の女優だったが、マーガレット・ミッチェルの描写にはほど遠かった、ポーレット・ゴダードは容貌はもっとも近かったが、演技力に疑問があった、ジーン・アーサーは三人の中でもっともダークホースの利点を持っていた。

ローレンス・オリヴィエ

そこに見学でやってきたのが、イギリスから訪米していたローレンス・オリヴィエヴィヴィアン・リー(1913-1967)でした。この時、ヴィヴィアンは、セルズニックと明るく笑顔で会話した後、突然、無言になり、焼け跡となったアトランタのセットを見つめ、涙を一筋流したと言われています。

そして、この表情を見て、セルズニックは「スカーレットがここにいる!」と感じたと後に回想しています。「緑の目が端正なふるまいとはうらはらに、いきいきと輝いている」

原作のスカーレット・オハラは、身長5フィート3インチ(160㎝)、体重103ポンド(46kg)、グリーンアイ、少し赤みのある茶色の髪を持ち、尖った顎を持っています。

スカーレット・オハラと言えばこの写真です。

スポンサーリンク

最終選考に残った4人のスカーレット・オハラ

ポーレット・ゴダード、1940年

ジョーン・ベネット、1945年

ジーン・アーサー、1930年

こうしてスカーレット役の最終候補は、ポーレット・ゴダード(1910-1990)、ジーン・アーサー(1900-1991)、ジョーン・ベネット(1910-1990)、そしてヴィヴィアン・リーの4人に絞られたのでした。

マミーにコルセットを締めてもらうシーンは、ヴィヴィアン・リーをはじめとする最終選考に残った4人の女優のスクリーンテストの課題シーンでした。

ヴィヴィアンは、恋人のローレンス・オリヴィエを相手に、テスト前に準備万端でした。つまり、このシーンを見ると、彼女の素晴らしさが集約されているのです。

そして、スクリーンテストの後、当時の監督ジョージ・キューカーの推薦もあり、1938年12月24日にヴィヴィアンに決定したのでした。

一方、キャサリン・ヘプバーンは、セルズニックに直談判して、こう言い放ちました。「この役が実際には私のために書かれたものであることをご存知でしょ?私こそがスカーレット・オハラよ。だったら私がスカーレットを演じるべきでしょ?」と。

しかし、セルズニックの答えは「私としてはクラーク・ゲーブルが12年間きみを追い続けるなんて想像できない」と冷静に答えたのでした(クラーク・ゲーブル自身も、キャサリン・ヘプバーンが少しでも出演していれば、この役を引き受けないと明言していました)。

スポンサーリンク

コルセットからの解放!

ヴィヴィアン・リーがとても可愛らしい有名なコルセットシーン。

召使マミー役のハティ・マクダニエルが本当に素晴らしいです。本作でアカデミー助演女優賞を受賞しました(黒人初)。


ジョージ・キューカーが監督した部分で残されている数少ないシーンです。

有名なコルセットシーン。

園遊会のお昼寝タイム。若い女性たちは皆ドレスを脱ぎ、お昼寝します。

衣装合わせのためのテスト撮影。

ジャージーを開発しながら、あたしは女の肉体を解放した。ウエストをしめつけず(1930年まで)、新しいシルエットを表現した。他のクチュリエたちの憤慨を尻目に、スカート丈をだんだん短くしていった。

ココ・シャネル

『風と共に去りぬ』には、ファッションに関する興味深いシーンがたくさん出てきます。その中でも特に印象深いのが、スカーレットが黒人の召使マミーにコルセットを締めさせるシーンです。この時代、女性にとってウエストラインのくびれは、絶対不可欠な時代でした(マミー役のハティ・マクダニエルは、黒人初のアカデミー助演女優賞を獲得しました)。

ヴィヴィアン・リーはコルセットを46cm(18インチ)で締めていました。

1906年にポール・ポワレの発表したハイ・ウエストのドレス「ローラ・モンテス」により、コルセットが女性のファッションからはじめて取り除かれました。そして、1916年、ココ・シャネルの発表したジャージードレスにより、完全に女性はコルセットから解放されたのでした。

つまりは第一次世界大戦(1914-1918)が、19世紀の終焉を告げ、20世紀のはじまりのベルを鳴らしたのでした。女性の肉体は解放され、活動的になり、若々しさに満ち溢れ、自由で洗練された女性像が、豊満な女性の美を駆逐したのでした。

スポンサーリンク

とても興味深いギリシア雷文ドレス

スカーレットの末妹キャリーン(左端)のギリシア雷文ドレス。

黄色いハットで合わせています。色合いもとても素敵です。

ヴェルサーチェに先駆けること何十年前でしょうか。

作品データ

作品名:風と共に去りぬ Gone with the Wind (1939)
監督:ヴィクター・フレミング
衣装:ウォルター・プランケット
出演者:ヴィヴィアン・リー/クラーク・ゲーブル/オリヴィア・デ・ハヴィランド/レスリー・ハワード