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『イージー・ライダー』1|ピーター・フォンダとデニス・ホッパー

その他の男優たち
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デニス・ホッパーは二度死ぬ。

ビリー・ルック1 スエード・ジャケット
  • テンガローハット
  • サングラス
  • スエードのブラウンジャケット。ラペルにベージュのウール
  • 薄いブルーのシャツ
  • ブラウンの鹿革のパンツ
  • ブラウンのスエードブーツ

Q 自分の人生を終えるとき、燃え尽きて終わりたいですか?
A いや、やり残したことがまだあって燃えている最中に、突然〝カット〟ってほうがいいな

デニス・ホッパー 1990年 プレイボーイ

1950年代に『理由なき反抗』(1955)と『ジャイアンツ』(1956)でジェームズ・ディーン(1931-1955)と共演し、意気投合した10代の新人俳優がいた。デニス・ホッパー(1936-210)である。まだハリウッドがスタジオのコントロールにより、監督や俳優を管理し、映画製作していた時代でした。将来有望だったデニスは、1958年『向こう見ずの男』撮影中に監督のヘンリー・ハサウェイと演技をめぐる対立をし、映画界から干されたのでした。それは、まさにハリウッドで一度目の死を迎えた時でした。

1965年、干される原因となったヘンリー・ハサウェイの助力によりジョン・ウェイン主演の『エルダー兄弟』でハリウッドに復帰しました。そして、この作品により、デニスは完全に生き返ったのでした。ちなみに、本作の大成功により時代の寵児になったデニスは、70年代から80年代前半にかけ、ドラッグ&アルコール中毒により、キャリア的に二度死ぬのでした(1986年、デビッド・リンチ監督の『ブルーベルベット』により復活)。

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プッシャー(麻薬密売人)。フィル・スペクター。

実に嬉しそうにコカイン・ボックスを持つフィル・スペクター。

1963年、ザ・ロネッツの『ビー・マイ・ベイビー』のプロデュースにより、人気プロデューサーになる。

1970年にはビートルズの『レット・イット・ビー』のプロデュースも手がける。

しかし、70年代以降ドラッグ常習による奇行により、キャリアはストップし、2003年女優を射殺し、刑務所に収監される。

ヒッピー・ルック1 プッシャー・スタイル
  • カリクロームイエローのレイバンシューター
  • ハンチングハット
  • ベージュのスエードブルゾン、ラペルはレザー
  • ダークブラウンのコーデュロイパンツ
  • 黒のボタンダウンシャツ
  • ドライビング・グローブ
  • 18金のゴールドブレスレット

この映画において、最も危険な男フィル・スペクターの登場です。その後半生をドラッグ中毒と共に生き、現在は殺人の罪で禁固19年を申し渡され、76歳にして刑務所に収監されています。そんな彼のカリクロームシューターは、ピーターのオリンピアに匹敵するカッコよさです。

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ロレックスを捨てて、荒野を走る!

出演者のほとんどが、撮影中にマリファナを吸っていたと言われています。

チョッパーに座る姿勢を含め、食事のスタイルにも、育ちの良さが見えます。

星条旗のヘルメットが似合う男もそういないだろう。

撮影中の本当にマリファナを吸っていた主役の二人(というか恐らく出演者全員)。

しかし、映像は半端なきリアル感に支配されていました。

伝説のイージー・ライダー・シャツ。素晴らしいパターンです。

何をするにしてもサングラスとマリファナを手放さない男。

キャプテン・アメリカ・ルック2 カフェレーサージャケット
  •  星条旗入りのヘルメット
  • カフェレーサージャケット。三色ライン入り。ABC LEATHERSのクラリス・アンバーグのデザイン
  • 首元にネイビーのバンダナ
  • ボヘミアン・パターン入りの白系のプルオーバーのシャツ
  • ABC LEATHERSのレザーパンツ
  • バックル付きベルト
  • イエローゴールドのロレックスのGMTマスターを捨てる

何よりもライダース・ジャケット(カフェレーサージャケット)です。1971年に僅か8年の歴史を閉じたレーシング・ジャケット会社ABC LEATHERS。そのオーナーこそが、レザージャケットに革命をもたらした女性デザイナー、クラリス・アンバーグです。彼女はブラックやブラウンといった淡色かつダークトーンが主流だったレザージャケットに「カラフルな色彩感覚」を付け加えた最初のデザイナーです。

そんな彼女のデザインによるカラーレザーを使用した特注ジャケットに身を包むピーター・フォンダ。このレザーのデザインがあったからこそ、星条旗が配されたヘルメットとチョッパーが引き立つことになったのです。

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史上初めてロック・ミュージックに物語を語らせた作品。

売春宿シーンの撮影にて。真ん中が監督も兼任したデニス・ホッパー。

公開当時、世界中は、激変したデニス・ホッパーの容姿に度肝を抜かれた。

『イージー・ライダー』を象徴する売春婦とのワンシーン。

ビリー・ルック2 バーズ・スタイル
  • テンガローハット
  • サングラス
  • フリンジつきのスエードのブラウン・ジャケット
  • ブラウンのスエードグローブ
  • カーキーのシャツ
  • 白の牙つきインディアン・ジュエリー
  • ブラウンの鹿革のスエードパンツ
  • ブラウンのレザーブーツ

1968年2月23日、ルイジアナ州ニューオリンズで、ピーター・フォンダの28歳の誕生日に本作の撮影は開始されました。終盤の謝肉祭のシーンでした。全ての映像は、マリファナというフィルターを通した幻想的なムードに包まれており、非現実的な美しさに満ち溢れていました。そんな素晴らしい映像美をさらに引き立たせていたのが、デニス・ホッパーが既存のロック・ミュージックからチョイスしたステッペンウルフ、ザ・バーズ、ザ・バンド、ジミ・ヘンドリックスらによる挿入歌の数々です。

あの頃は国中の者がマリファナを吸うことに夢中になってたから、・・・ロック・ミュージックはまだ映画の中では誰も演奏したことはなかった。それでこれらすべてのことが『イージー・ライダー』とともに形になって現れ、観客はそこに彼ら自身の姿を、彼ら自身の文化を見出し、何よりも「時代の現象」を見出したのさ。

デニス・ホッパー

はじめて時代の生の音を閉じ込めた作品だった。 デニス・ホッパー

それはまた映画の中で、史上初めて、ロック・ミュージックと自然光の映像とファッションが結びついた瞬間でもありました。そして、星条旗に包まれたキャプテン・アメリカの隣に、いつでもいる男ビリーを演じるデニス・ホッパーのファッション。これこそが、ヒッピー・ファッションのひとつの頂点であり、そのテイストは、本作の挿入歌にも使われているザ・バーズのロジャー・マッギンとデヴィッド・クロスビーをベースにしたファッション・スタイルでした。