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ローレン・ハットン3 『アメリカン・ジゴロ』7(2ページ)

ファッション・モデル
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メンズ・ライクなジャケットの着こなす天才。

メンズライクなジャケットを着て拘置所に現れるミシェル。

カルティエのタンク。

足元は、パンプスではなく、サンダル。スカートスーツにカジュアル感を。

ミシェル・スタットン・ルック10 スカートスーツ
  • ライトスティールブルーのスカートスーツ
  • 白のブラウス
  • ベージュのハイヒールサンダル
  • カルティエのタンク

ローレン・ハットンは、1980年当時、ダイアン・キートンと双璧を成すメンズライクなジャケットの着こなしが絶妙な女優でした。

1980年。絶妙なジーンズとの組み合わせ。

同年。「私は普段は、ジーンズとスニーカの人よ」ローレン・ハットン。

同年。そして、イブニングの上に、ダブルのジャケット。袖はロールアップ。

ローレン・ハットンというファッション・モデルの偉大性は、日本においては、ほとんど認識されていないと言っても過言ではありません。

それは、日本のファッション・モデル文化と言うものがいかに多面性がなく、表面的なものにのみ捕らわれがちかという傾向を示してくれています。そして、ファッションという分野に対して、より深い哲学性と、日本の独自性を示していかなければ、いつまで経っても、フランスやイタリアのファッション・ブランドの金魚のフンの如き○○○・ジャパンみたいな存在や、編集者の言葉で語ることを放棄したファッション誌の如きつまらぬものに成り果ててしまいます。

日本の独自性を知るために必要なこと。それは、欧米が生み出したファッションの独自性の歴史を理解することから始まります。基本的な知識がないからこそ、上っ面で欧米の真似をし、「猿真似文化のアジア人」と心の底で卑下されていることを我々は認識する必要があるのです。それは、まさにバレンシアガのトリプルSがアジア人の間で流行したと同時に、欧米人が履かなくなったことに象徴される感覚なのです。

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最後に神はローレン・ハットンを創造された






ミシェル・スタットン・ルック11 ラスト・ルック
  • こげ茶のニットカーディガン
  • 同色のニットの半袖のカットソー
  • 同色のスカート
  • ベージュのハイヒールサンダル
  • カルティエのタンク
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1980年、第52回アカデミー賞のプレゼンテーターに。

『刑事コジャック』のテリー・サバラスと共に。




1980年4月14日、ローレン・ハットンは、ロサンゼルスのドロシー・チャンドラー・パビリオンで行われた1979年度のアカデミー賞会場で、ゴールドのミニドレスで登場しました。

かつて一瞬付き合っていたマルコム・マクラーレン(セックス・ピストルズを創造した男)に「ハリケーンを愛しているようなもの」と言わせたローレン・ハットン。彼女は、すきっ歯と本人曰く〝バナナのような鼻をした湿地帯のスカンク〟のようなルックスで、ファッション・モデル界のみならず、世界の女性の歴史を変えたのでした。