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グレース・ケリー10 『真昼の決闘』(3ページ)

グレース・ケリー
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グレース・ケリーのメジャー・デビュー作品。

美女の条件。父親程の年の離れた男性の隣に座っていても、妻の風格を保てること。

レースに特長のある19世紀末のドレス。

僅か一着の衣裳しか着ないグレース。

ショットによっては彼女は平凡に映りましたが、角度と光の具合で、驚くほど、変わって見えました。それはスターの輝きでした。

フレッド・ジンネマン

グレース・ケリーは、いざ大役を獲得した後に、「その役をこなせるほどの力があるのかどうかわからないのよ。怖いわ」と、かなり緊張していました。しかし、監督のジンネマンは特に演技指導をすることなく、ただひたすらに、グレースのクローズアップを撮影していました。

「私は全体がニュース映画のように見えれば良いと思ったのです」とジンネマンが告白しているのですが、撮れば撮るほどに、彼女の非現実的な美しさに圧倒されつつも、その中から、現実味のある美をジンネマンは紡ぎ出したのです。彼が、フィルムをグレースのために多く消費したのは、「ニュース映画」のような体裁を壊さない平凡さをグレースから引き出すためだったのです。

午前10時35分から午前12時15分の100分間の物語を、84分間でほぼリアルタイムに描いているこの作品の中には、グレースの〝抑えた美〟が濃縮されています。グレースが後に、アルフレッド・ヒッチコックの映画で、ダイヤモンドのように永遠の輝きを見せることが出来たのは、ひとえに本作における〝抑えた美〟が存在したからなのです。

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ファッション・アイコンに必要な絶対要素とは?







グレース・ケリー・ルック
  • ボンネット帽
  • ペールカラーのドレス、ラッフルスリーブ

ここからグレース・ケリーの神話の扉は開かれました。そして、ここに美の本質に対する明確なる答えが示されています。そういった意味においては、『真昼の決闘』という、美意識の高い女性にとって、極めて無縁に見えるこの作品こそが、あらゆるファッション誌よりも、端的に、忘れがちな美の本質を教えてくれるバイブルなのです。

その答えとは、「謙譲の美学」なのです。それは東洋の思想であり、この作品自体が、その美学に包まれています。「美とは、痛みを伴うもの」であり、ただひたすらにやせ我慢の美学でもあるのです。保安官が、孤立無援になっても、街の人々に対して恨み節をくどくど叫ぶわけでもなく、その妻(グレース扮する)が、夫を見捨てるときも、取り立てて喚き散らすこともなく、目もあわせずに馬車で去っていく。そこには、沈黙の美徳が存在します。

そして、闘いに勝っても、二人は、ただ無言で去って行くのです。「ああ・・・どうしたことでしょうか?いつから、どこでも、どんなときでも、あの忌々しい四角い悪魔を取り出し、騒ぎ立てる人種が増えたのでしょうか?」もうそろそろファッション雑誌も勇気を出して語らねばなりません。過敏な自己主張=自己愛は、美ではなく、ただの精神病に過ぎないということを。そして、スマホに依存しすぎなファッションは、結局は、「どう?私って綺麗でしょ?魅力的でしょ?」とふれて回っているだけのことだということを。40%にディスカウント出来るものは、ファッションではないのです。

ファッション・アイコン=美の象徴とは、本人が望まない環境から生み出されるものなのです。それは「私こそが、ファッション・アイコンよ!」という、押し付けがましい姿勢とは真逆の姿勢なのです。