その他

デボラ・ハリー ブロンディ伝説2(3ページ)



    「サンデーガール」アンドロギュヌス・スタイル


    1981年『007 ユア・アイズ・オンリー』の主題歌候補としてブロンディは、シーナ・イーストンと競い合うが、見事に敗れてしまいました。しかし、このエピソードは、ブロンディのイギリスでの人気の高さを示すものです。ボンドムービーの主題歌候補として名前の挙がるアメリカ人グループはそういません。さてこの「サンデーガール(Sunday Girl) 」(1979年全英No.1ヒット)もアメリカではリリースされませんでした。そう言えば、アメリカの音楽はいつからつまらないものになったのだろうか?

    ビデオクリップにおいて、デボラ・ハリーがメンズスーツを着ているのですが、少しオーバーサイズ気味の着こなしはなかなかのものです。彼女は160㎝と背が高くないので、どこかイギリスの寄宿学校の美少年が歌っているようなアンドロギュヌス性が漂ってきます。まさに女性にのみ感じうる官能性に満ちたビデオクリップだと思います。ちなみにこの曲は、2010年に「ニナ・リッチ」の香水のCMソングとして、フローリーによってカバーされました。

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    日本女子の好きそうなチョイヌケ・スタイル。1980年。

    ブロンディ・スタイル17 「デストロイヤー・スタイル」
    • 覆面レスラー・デストロイヤー・シャツ
    • ブルースパッツ


    ドリーミン(Dreaming) (1979年全英No.2ヒット)アバの「ダンシング・クィーン」のブロンディ・ヴァージョンと言われている。

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    ペプシ・シャツ。1977年。


    フレンチ・キッスィン・イン・ザ・USA(French Kissin in the USA) (1986年全英No.8ヒット)

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    ストロングショルダー。80年代テイスト。1980年。



    「マリア」ブロンディ復活


    1982年に引退し、世紀末の1997年に再結成したブロンディは「マリア(Maria) 」(1999年全英No.1ヒット)によって復活を遂げます。最後に、ファッション・アイコンとしてのデボラ・ハリーについて総括しましょう。「ブロンドヘアーに真紅の口紅」というひとつの女性のロックスター像を創造したことは言うまでもありませんが、それ以上に彼女をアイコンたらしめているのは、70年代から80年代にかけて、色々なジャンルの音楽に挑戦するという反逆のスタイルに、ファッションを融合させた部分にあります。

    決して恵まれた体形ではないデボラ・ハリーが、音楽の力を借り、ファッション・デザイナーと女優・モデルの結びつきを凌駕するカウンター・ファッションを生み出し、今では、恐らくファッション業界は、音楽業界に従属することになったきっかけを作った一人であるということもこの人がファッション・アイコンである所以です。

    ファッション業界と音楽業界が密接ではない時代だったからこそ、カウンター・ファッションが生まれました。今、若い世代(ファッション・デザイナーも含めて)を中心にファッションに対して感じる物足りなさの根源にあるのは、それが失われたことによるものなのかもしれません。ファッションは反逆です。餌をもらって尻尾を振る飼い犬の歌になぞスピリットは感じないのです。

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    デボラ・ハリーとデビッド・ボウイ。1974年。

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    デボラ・ハリーを撮影するアンディ・ウォーホル。1980年。

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    Blondie, 1977, from a Japanese music magazine

    日本の音楽雑誌掲載。1977年。



    デボラ・ハリーとスティーブン・ スプラウス

    80年代を席巻したニューヨークのファッション・デザイナー・スティーブン・スプラウスとデボラ・ハリー。

    スプラウスのデザインした服を着るデボラ・ハリー。

    あらゆる要素が詰め込まれたデザイン。

    スプラウスのミューズ・テラ・トイとマーク・ジェイコブス、そして、デボラ・ハリー。2009年。

    1983年にニューヨークでコレクションを発表し、時代の寵児となったファッション・デザイナー・スティーブン・スプラウス(1953-2004)。最高級品の生地(イタリアのアニオニから供給された最高級の羊毛を使用)とストリート感覚溢れるグラフィック・アートという相反するものをミックスする世界観で80年代ポップ・ファッションの先導者となりました。彼はまたデザインした服を、ニューヨークで最高級の百貨店バーグドルフ・グッドマンヘンリ・ベンデルでのみ少量販売するという方法で話題を呼びました。

    1987年には、敬愛するアンディ・ウォーホルのテキスタイルを使用し、「カモフラージュ」シリーズを発表します。デボラ・ハリーがソロになってから着ているものの多くはこのシリーズです。もっともスプラウスとデボラは70年代にアパートの上下階の隣人同士であり、70年代後半から80年代前半の彼女の多くの衣装を制作していたのです(スプラウスが有名になってからはデュラン・デュランやビリー・アイドルの衣装も手がけています)。

    そして、2001年SSにルイ・ヴィトンのクリエイティブ・ディレクターを務めるマーク・ジェイコブスとコラボしたグラフィティ・バッグが歴史的なヒットを飛ばすことになるのでした。



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