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『気狂いピエロ』1|アンナ・カリーナとココ・シャネル

アンナ・カリーナ
アンナ・カリーナ
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作品データ

作品名:気狂いピエロ Pierrot Le Fou (1965)
監督:ジャン=リュック・ゴダール
衣装:クレジットなし
出演者:ジャン=ポール・ベルモンド/アンナ・カリーナ

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アンナ・カリーナの母親、ココ・シャネル

1940年9月22日、彼女はデンマーク・コペンハーゲンに生まれました。母親は洋裁店を営み、父親は船長でしたが、彼女が生まれて間もなく家族を捨てて蒸発しました。祖父母の間をたらい回しにされ、8才で母親が再婚し、家出を繰り返し、少女時代には、盗んだ船でアメリカ渡航を画策したこともあると言います。14才で学校を退学し、百貨店のエレベーターガールをしたりもしていました。そんな時に短編映画のエキストラをしたことがばれて義理の父親に手ひどく暴行されます。

彼女は決断しました。もうデンマークには未練がないと、僅か15ドルしか持たずに、ヒッチハイクをしてフランス・パリに向かいます。1958年夏のことでした。そして、パリで、神父に助けられ、小さな部屋をバスティーユの近くで与えられました。仕事もなく食い詰めて、有名なカフェ、ドゥ・マゴ・パリに座っている所を、ファッションモデルとしてスカウトされます。

そんなある日ELLEの撮影のためにスタジオにいた彼女は、ココ・シャネルと対面します。そして、シャネルは彼女に尋ねました。「あなたの将来の夢は何?」それに対して彼女は「女優になりたいです」と答えました。そこでシャネルが命名してくれた名前が〝アンナ・カリーナ〟でした。

そして、シャネルは言いました「あなたはサイレント・ムービーに出てくる女優のような存在感があります。まずはフランス語をがんばりなさいね」と。その日以降アンナは、毎日映画館に通うようになりました。女優としての勉強とフランス語の勉強を兼ねて、同じ映画を何十回も見る日々をすごしました。そして、この時期ピエール・カルダンのマヌカンにもなりました。

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「気狂いピエロ」は、石鹸のコマーシャルから生まれた

1959年、アンナ・カリーナが出演したパルモリーブ・ソープのテレビCMを見た一人の男が、自身の初めての長編映画となる作品の脇役として、彼女に出演依頼の電報を打ちました。その男の名は、ジャン=リュック・ゴダール。作品の名前は『勝手にしやがれ』。早速ゴダールと面会したアンナは、ベルモンドの昔の愛人役で「ヌードになる」という条件にびっくりしました。

そして、その時のゴダールの一言が、アンナの逆鱗に触れました。それは「だってTVでヌードになってるじゃん」という一言でした。「あれはヌードじゃなくて泡の下に衣装を着てるんですよ」とアンナが言うと、さらにゴダールは一言しらっと「でも見てる人は、ヌードだと思ってるよ。服を着て風呂に入るバカはいないでしょ?」と言ったからでした。

ゴダールの恐ろしい所は、手痛く断られても、さらに彼女にアタックする所です。再び電報を送りつけました。〝次は『小さな兵隊』という映画の主役でお願いします〟という内容でした。嫌々アンナが面接に行くと、ゴダールは、ただ15秒ほど彼女をじっくりと嘗め回すように見て、「合格です」と伝えました。そこでアンナは「ゴダールさん、面接は合格ですと言いましたが、私は一体どんな映画なのか知りません」と言うと、ただ一言「政治映画です」と言うだけでした。結果的に、二人は1961年に結婚し、1965年に離婚することになります。

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今何をしているのか全く分からない二人の映画

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アンナ・カリーナの魅力。それは目、目、目。

本当の意味で、その題名通りの映画。主演の二人が、自分たちが今、どこに立ち、どこに向かっているのかさえも分からない環境で撮影された作品。そういう意味においては究極のファンタジー映画なのです。ジャン=ポール・ベルモンド(1933-)とアンナ・カリーナは、撮影当日にスケジュールを伝えられ、早朝にゴダールから説明を受け、そのシーンの撮影を行うという毎日を繰り返していました。

ある日のベルモンドは顔中にペンキを塗りたくられ、別の日には、いきなり海辺に生き埋めにされ、また別の日には、そこにサミュエル・フラーがいたりと、暗中模索の中、演技をすることを課せられた二人の俳優のセミドキュメンタリーとも言えるのです。それは、俳優が、確信的に狂っている役柄を演じるのではなく、ゴダールが役者が狂う環境に追い込んだ作品。それが『気狂いピエロ』なのです。

そして、21世紀のファッション・アイコンとして誉れ高いアンナ・カリーナ。歌い、踊り、死ぬ、その姿。何を狙っての演出なのか本人にも全く分からないので、作中の彼女の不思議さには、何かを狙っているケレン味は一切存在しません。何かこの作品の中の二人は、迷い子のようです。そんな中で、ゴダールは、衣装デザイナーを用意せずに、アンナにプリズニック(スーパー)で衣装を調達させる始末でした。そうなのです。この作品のフレンチ・カジュアルは、ほぼ100%アンナ・カリーナ・チョイスなのです。

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「映画とは戦場だ!」サミュエル・フラー

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細ラペルのグレースーツ。赤の細身のカットタイ。白のYシャツ。

まず最初に、サミュエル・フラー(1912-1997)のすごさを100字以内で述べよ。第二次世界大戦でパープルハート、シルバー&ブロンズメダルを獲得した戦争の英雄であり、アメリカのB級シネマの巨匠であり、撮影開始の合図は常にピストルの実弾発射だった。とにかくルールなき映画作家。これがフラーの凄さです。

そんなサミュエル・フラーにベルモンドが「映画とは?」と質問します。それに対して「映画とは戦場であり、愛であり、憎悪であり、アクションであり、暴力であり、死であり、つまり一言で言えば、エモーションである。」とフラーは言うのです。フラーとは、ハリウッドでは全く認められず、ヌーヴェルヴァーグで神格化された映画監督なのです。「映画は戦場だ!」と答える言葉に大した意味はありません。しかし、それは色で言うところの赤と黒なのです。人間の感情を燃え上がらせる言葉なのです。ゴダールがアート思考の高い人々に絶大なる人気を誇るのは、彼の映画を見ていると、自分が自分自身への反逆者であることに気づかされるからなのです。