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マドンナ伝説4(3ページ)

マドンナ
マドンナ
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マドンナ略歴

  • 1958年8月16日 ミシガン州ベイシティで生まれる(6人兄妹の3番目であり長女)。
  • 1977年 ミシガン大学を中退し、35ドルを片手に、グレイハウンドバスでニューヨークへ。
  • 1982年 「エヴリバディ」で歌手デビューを果たす。
  • 1983年 デビュー・アルバム『バーニング・アップ』を発売。全米で500万枚、全世界で1000万枚を売り上げる。
マドンナ略歴続き

 

2ndアルバム『ライク・ア・ヴァージン』(1984年11月リリース)
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地球一のセックス・シンボルになる。

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「ライク・ア・ヴァージン」 1984年10月リリース。全米1位、全英3位

「ライク・ア・ヴァージン」について教えてやろう。この曲は、年がら年中ヤリまくってるセックス・マシーンのような女の歌なんだぜ!とにかく朝から晩まで、掘って掘って掘りまくられて・・・。ある日、彼女がジョン・ホームズ(有名な巨根のポルノ男優。エイズで死去)並みのビッグディックに出会ったんだ。「あら、ステキ!」と感動して、ヤリはじめると、『大脱走』のチャールズ・ブロンソン=トンネル王のように、このビッグディックは黙々と掘り始めるんだ!そのあまりの激しさに、男たちの間でバブルガムのような伸縮自在なプッシーを持つ女と言われていたこの女が痛みを感じたんだ!そう、痛みを!まるで処女を失うように痛かったんだ。そんな女の歌を歌ったのが、ライク・ア・ヴァージンなのさ。

レザボア・ドッグス』(1992)の中で、クエンティン・タランティーノは語る。

デヴィッド・ボウイの『レッツ・ダンス』を1983年にプロデュースし、ボウイの新境地を開いたナイル・ロジャースと、マドンナがタッグを組んだ第二弾アルバム『ライク・ア・ヴァージン』。このアルバムにより、マドンナは、スターからスーパースターへと昇華していきます。CDの表紙等のプロモーション写真は、ファッション・フォトグラファーであるスティーヴン・マイゼルによって、ニューヨークのセント・レジス・ホテルのスイートルームで撮影されました。

マドンナ初の全米No.1ヒットを記録した「ライク・ア・ヴァージン」は、婚前性交渉を奨励する歌として、保守的な人々からの批判を浴びました。

『ライク・ア・ヴァージン』への世間の反応には驚いたわ。だってあたしが歌ってるのは、何らかの形で自分をある気持ち―まっさらで新鮮な―にしてくれるものがある、ってことなのに、ほかの人はみんなこう解釈するのよ。『もうヴァージンでいるのはいや。気が遠くなるくらいファックして!』。あたしはそんなつもりで歌ってなんかいないのに。

マドンナ

ミュージック・ビデオは1984年7月にイタリア・ヴェニスで撮影されました。作詞はビリー・スタインバーグとトム・ケリー。彼らはのちにシンディ・ローパーの「トゥルー・カラー」(1986)やハートの「アローン」(1987)、ホイットニー・ヒューストンの「やさしくエモーション」(1988)、バングルスの「胸いっぱいの愛」(1989)で全米No.1ヒットを連発するヒットメイカーになります。

スティーヴン・マイゼルの写真が、マドンナのイメージを決定づけました。

それは「地球上で最もセクシーな女」というイメージでした。

白いレースのロンググローブの上にアクセ盛り。

さらに「BOY TOY」ベルトを装着。

ウエディングドレスに妖艶さのアンバランスなバランス。

マドンナ・スタイル8 ヴァージン・スタイル
  • 網目の純白レースビスチェ
  • レースの指あきロンググローブ
  • パール&リングブレスレットの重ねつけ
  • 純白のウエディングドレス