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『シティ・オブ・ゴッド』1|リアル・ストリート・ファッション

その他の男優たち
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作品データ

作品名:シティ・オブ・ゴッド Cidade de Deus(2002)
監督:フェルナンド・メイレレス
衣装:ビア・サルガド、イネス・サルガド
出演者:レアンドロ・フィルミノ・ダ・オーラ/ドゥグラス・シゥヴァ/フェリピ・アージンセン

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映画史上〝最も最低な主人公〟のファッションとは?

のび太ファッションの少年が銃をぶっぱなすことに、違和感を感じさせない異様な説得力。

『シティ・オブ・ゴッド』とは、のび太のような短パン姿にビーチサンダルの少年たちが〝笑いながら人を殺す〟映画です。この作品には、グレース・ケリーやオードリー・ヘプバーンが私達に与えてくれるようなファッションのエレガンスも、ボンドムービーやスティーブ・マックイーン、ブラッド・ピットが与えてくれるような〝男の教科書〟の要素なども微塵も存在しません。

ただ、Tシャツに短パン、ビーチサンダル姿の青少年(?)たちが、銃器を片手に貧民窟(ファヴェーラ)を、育児放棄という言葉が生温いほどの環境の中で、文字通り駆け抜けていくのです。そんな強烈な登場人物しか出てこないこの作品の中でも、まず間違いなく鑑賞者の印象に残る、実質的な主人公と言えるのが、リトル・ダイス=リトル・ゼ青年です。ここに彼のキャラクターを列挙してみましょう。

1.少年時代に、人殺しをして以来、人を殺すことなど屁とも思わない。むしろ、笑いながら人を殺す。
2.まともな恋愛経験ゼロ。気に入った女性を恋人の前でレイプする鬼畜ぶり。
3.踊れない。趣味も特になし。バイクに乗っても転倒するほどに運動神経は悪い。
4.何かに熱中するとそのことしか考えなくなる。とにかく〝神の街〟の支配だけを目的に生きている。
5.麻薬は「売るもので打つものではない」というドラッグディーラーのルールなど無視したジャンキーぶり。
6.文字を読めない。
7.瞬間湯沸かし器のように短気。仲間のチューバでさえも「てめえはしゃべりすぎなんだよ」とすぐに殺す。
8.子供に対しても容赦なし。楽しんで痛めつけて殺す。足を撃って、「足を引きずるな!」と怒鳴る性根の腐りよう。
9.全くナンパも成功しない程にぶさいくでチビ。

といった具合にここまで悪と負の要素がぎっしり詰まった主人公もそうそういないのですが、なぜか、この青年には得も言わせぬ磁力があります。改心の余地のない究極のクズ人間の、振り切ったパワーとでも言いましょうか?もはやどんな言葉もこの青年を止めることは出来ない〝純粋悪〟っぷりにカタルシスさえも感じさせてしまうのです。それだけこの作品の主人公は、〝生命力〟に溢れているのです。よくあるここ20年間の日本映画の悪党の、見た目重視で、生命力のない軽い存在感とは対極の存在感に満ち溢れているのです。だからこそ、これほどの〝悪の化身〟が身に纏うファッションがなぜかカッコ良く見えてしょうがないのです。

この作品は、ファッションに対する真実の言葉を教えてくれます。ファッションモデルがファッション誌で身に纏うファッションから感じるあの倦怠感はなんだろうか?結局は、そういったものは、ある人間が活躍するユニフォームには勝てないという真実です。それはサッカーのユニフォーム、ナチスの軍服、フライトアテンダントの制服といったものの魅力のことを指すのですが、ファヴェーラの子供たちにとってのTシャツと短パン、ビーチサンダルもまた同じことなのです。

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リオに行けばこの映画は、今も続くリアルだと分かるサ。

彼らの雰囲気は絶対プロの俳優じゃ出せない。出演者全員がリアルに「神の街」の住人だった。

一番左に写っている青年イワン・ダ・シルバ・マルティンズは、後に、実生活においてもファヴェーラのボスにのし上がり、今年警察殺害容疑で逮捕された。

リトル・ゼ・スタイル1
  • トリコロールのラインが肩口に入ったル・マン風Tシャツ
  • インディゴブルーのデニムジーンズ
  • ブラックの太ベルト
  • ブラックスニーカー

軽快なサンバのリズムと共に、鶏を追いかける無邪気な子供たちの姿で始まるオープニング。しかし、明らかに何かがおかしいです。それは小学生くらいの少年が、拳銃を撃ちながら鶏を追いかけているのです。それを扇動しているのが、アフロヘアの黒人の青年リトル・ゼです。少年時代から楽しんで人を殺してきたという映画史史上最も最低な主人公を演じるのはレアンドロ・フィルミノ・ダ・オーラ(1978-)です。

彼はこの作品に出演するまで、演技経験はありませんでした。実際に「神の街(=シティ・オブ・ゴッド)」に生まれ(実の弟もリトル・ゼの子分役で出演)、この作品のオーディションに参加したのは、俳優になりたいからではなく、友達の倒産寸前の会社を助けるためでした。そんな根が温厚で、友達想いの彼は、全く違う人格を脅威的としか言いようのない的確さで演じ上げたのでした。しかし、ここにこそ、演技の本質があるのです。自分自身とは対極の人格を演じる事、それが演じていることさえも気づかせないパワーを役柄に与えるのです。つまりは、本物のギャングがギャングを演じているのではなく、心優しきファヴェーラの青年が、ギャングを演じている所が、リトル・ゼという存在に奥行きを生むことになったのです。

ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに行ったことのある方なら容易に分かること。それは現在のリオも、この作品の空気と大差ないという事実です。それは何もファヴェーラに限らず、旧市街のセントロにしても、欧米からの観光客で賑わうコパカバーナビーチ周辺にしても同じです。特に、セントロはここ10年、治安は悪化の一途を辿っています。ATMでお金を下ろそうにも、ATMの前にたむろする屈強なホームレスの数に唖然とさせられます。リアル・サザンクロス状態です。

リオ・デ・ジャネイロと同じく最低の治安を誇るメキシコ・シティと比べても、その100倍は、体感的な危険の予兆を肌身に感じさせます。リオがどこよりも危険な街だと感じさせられるのは、街全体がドス暗く、迷路のような作りになっているので、容易に迷ってしまうという点と、ほぼ全ての建物が鉄格子で囲まれていることから生まれる心理的な圧迫感です。

仕事仲間とのディナーでボタフォゴ湾沿いにあるシュラスコで有名な高級レストラン、フォゴ・デ・チャオビバリーヒルズにもチェーン店あり)でディナーした後、友人とコパカバーナで待ち合わせし、娼婦がたむろするビーチバーで一杯飲んだ後、彼女のファヴェーラの実家に招待された時の三段階変化の凄さは、ビバリーヒルズの仕事の翌日にキューバに入国し、オールド・ハバナの修道院のような古めかしいホテルに滞在した時以上の衝撃でした。この作品の恐ろしさは、世界中の人に対して、リオ・デ・ジャネイロという都市のイメージをリオのカーニバルからファヴェーラ一色に塗り替えたところにあるのです。

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「優しき三人組」の時代背景

どこかブラッド・ピットに雰囲気が似ているカベレイラ(真ん中)。

伝説のバナナ・シーンが「神の街」の本質を上手く示しています。

ブラジル・リオのイメージがカーニバル一色だったのを、一瞬にして、ファヴェーラという現実のイメージへと代えてしまったこの作品がまず最初に描く1960年代後半の「優しき三人組」のセピア色の物語。それはどこかノスタルジックでスローではあるが、この頃から失業、強盗、和姦、家庭内暴力、警察の横暴、殺人といった70年代に爆発するドラッグ・ウォーへの〝悪の種子〟が育ちつつあることを予感させてくれます。

この物語の〝異様な世界観〟の背景にあるブラジルという国の成り立ちの特異性を軽くおさらいしてみましょう。その少しの理解が、この作品のファッション・センスに対する理解をより深めてくれることでしょう。

まずはじめにポルトガル人により支配され、アフリカ大陸から黒人が奴隷として連れてこられた1888年まで世界で最後の奴隷制を敷いていた国ブラジル。そんな黒人達が、学問も技能もない状態で突如奴隷解放されたことから、ファヴェーラの歴史は始まります。

時は過ぎ、1930年に、軍事クーデターによりジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス(1882-1954)が大統領になります、この最後には大統領官邸でピストル自殺を遂げることになる男によって、現代の歪みきったブラジルの形は作られたのでした。ヴァルガスの死後、民主化されたブラジルは、1958年に、コーヒー豆の国際価格の大暴落により、一瞬にして国家財政が破綻し、共産主義が台頭します。そして、その流れを阻止すべく、1964年、アメリカの支持の下、軍事クーデターが成功します。この作品は、軍事独裁国家だった1985年までのブラジルが舞台です。

1966年1月にリオ・デ・ジャネイロにハリケーンが襲来し、5万人のファヴェーラの住人が家を失います。この後、〝神の街〟のようなファヴェーラが政府により作られていきます。そして、反政府運動が盛り上がった1968年の血の弾圧をきっかけに、軍政による完全な報道管制(サンバやボサノヴァの内容まで徹底的に検閲)及び軍事独裁政治が徹底されることになりました。この時期、都市部はストリート・チルドレンで溢れ返り、一気に治安が悪化した都市に住む市民が雇った民兵によるストリート・チルドレン殺害部隊である「死の部隊」が編成されることになりました。一方、軍事政権は恐怖の秘密警察・作戦情報部隊ドイ・コジ(DOI-CODI)を各都市に設置したのでした。ここから、リアル『北斗の拳』ワールドがはじまります。そして、本作のはじまりもココからです。

以後、1969年にファビオ・ヤスダ商工相の指導の下「この国は前進する国である」のスローガンの下、貧困者には全く見返りのない欺瞞に満ちた「ブラジルの奇跡」が始まります。さらに1970年、ペレの活躍によりブラジルのワールドカップ優勝により、一気にブラジルは明るい観光地のイメージで注目される国になりました。しかし、そんなイメージの本当の姿として、ファヴェーラが、臭いものに蓋をするかのように存在していたことが、この作品の背景にある救い難さを私達に伝えてくれます。

「優しき三人組」の時代には、まだ叩いてくれる父親、抑止する恋人、神への道も存在したのでした。やがて、そんなリミッターが振り切られる世代が到来するのでした。コロンビアの麻薬と共に、純粋悪が覚醒するのです。さぁ、〝神の街〟は修羅の国となるのです。