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『勝手にしやがれ』Vol.3|フランス人形のようなボーダーワンピース

ジーン・セバーグ
ジーン・セバーグ
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ファッション業界にさえもヌーヴェルヴァーグを起こした映画

『勝手にしやがれ』という映画の奇跡は、正常ならばけっして映画なんか作ることが出来ない人生の一時期にひとりの人間によって作られたということだ。

人は貧窮のどん底にあるとき、悲惨の極みにあるとき、映画をつくったりはしない。映画をつくるということは、それはすでにホテルとかアパルトマンとか、ちゃんとした住居に住んでいて、物質的な心配事もなくなってからのことだ。そして、そのときの思いで映画を作るのだ。

だが『勝手にしやがれ』の場合は、ほとんど浮浪者が、映画を作ったのである。それこそ奇跡なのだ。あれほど不幸で、あれほど孤独でありながら、一本の映画をつくれることは、そんなに簡単にありうることではないのである。

フランソワ・トリュフォー

フランソワ・トリュフォーの原案(1954年)によるこの作品は、ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)の象徴となりました。それは、ゲリラロケ撮影を中心としたスタジオ撮影の放棄、同時録音、即興的な演出という生命力溢れる映画を生み出そうとする試みでした。

上記のトリュフォーの言葉は辛辣ですが、この作品の本質を見事に突いています。そして、そんな監督=ゴダールに、付き合えたハリウッド女優(ジーン・セバーグ)が着たファッションは、ただフレンチカジュアルの象徴として人々の記憶にとどめるだけでなく、パリモードに対する反逆の象徴としても捉えられるようになったのです。

パリモード界にさえもヌーヴェルヴァーグを起こした映画それが『勝手にしやがれ』だったのでした。そして、ジーン・セバーグは「ヌーヴェルヴァーグの女神」となったのでした。

ジャン=リュック・ゴダール

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「重要なのは2つだけ、男と女だけです」

ジャン=ピエール・メルヴィル

パトリシアに「人生最大の野心は?」と聞かれ、「不老不死になって死ぬこと」と答えるジャン=ピエール・メルヴィル(1917-1973)が、この映画のすべてを奪い取った瞬間でした。彼こそがアラン・ドロンの傑作『サムライ』を生み出した人なのです。

そして、「女性は生涯に何人の男を愛せますか?」と聞かれ、指をバタバタ動かして数え上げてゆく仕草。すべてがとんでもなくカッコいいです。

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パトリシアのファッション5

デイワンピース
  • ウールのノースリーブのデイワンピース。フロントボタン。胸ポケット×サイドポケットが対に2つづつ。ラウンドネック
  • ペールカラーのカーディガンを肩がけ
  • キャットアイサングラス
  • 黒のハイヒールパンプス
  • 愛用の巾着袋

決まりすぎているベルモンドの隣で、カーディガンを肩がけするジーン・セバーグ。

パリのカフェにマッチするパリモード寄りのファッション。

キャットアイサングラスとキャットアイライン。

着替えの服をちゃんと持っているパトリシア。

このワンピースは忘れられがちですがとても素敵です。

デザインが最もよく分かる写真。

ノースリーブワンピースの生地感がよく伝わる写真。

全体のワンピースのシルエット。

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とてもすてきなボーダーワンピース

まるで印象派の絵画の中のフランス少女のようなワンピース。

映画史とは少年が少女を撮ってきた歴史である。

ジャン=リュック・ゴダール

ジーン・セバーグが、『悲しみよこんにちは』の三年後(つまり、三年後のセシル)を体現した衣装を最後に着ます。ここまで徹底したボーダーワンピースも珍しいです。ボーダーのない布地は存在しないのです。さらにハイウエストになるようにベルト位置は設定されており、アンブレラスカートになるようにふわりと膨らみます。そこに白のショートグローブと白のハイヒールパンプスを合わせているところがまた絶妙です。

スタイリストなしで、このスタイルを着こなしたセバーグが素晴らしいです(しかもすべての野外撮影の着替えは、カフェのトイレでしていたという)。

明るい未来がこの先にある、希望に満ちたジャーナリストとしての初仕事をするためのセミフォーマルな服装で、夜のパリをミシェルと過ごし、車までも盗む手伝いをし、そして、早朝、裏切るのです(ゴダールはセバーグに、ミシェルを裏切ったあと、死に掛けている彼の上着から金を抜くようにもちかけたが、断固拒否しました)。

幼いフランス人形のようでありながら、知性的な大人の女性の二面性を持ち合わせる。フレンチボーダーワンピースとは、女性の少女から大人へのふり幅を振り子のように巧みに見せることが出来る魔法のようなファッション・アイテムなのです。

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パトリシアのファッション6

ボーダーワンピース
  • フレンチボーダーワンピース(シャツドレス)。半そで。ボタンに至るまで全てがボーダー。膝丈
  • 手首までの白のショートグローブ
  • 小さな巾着袋
  • 7cmくらいの白ハイヒールパンプス
  • キャットアイサングラス

華々しい未来への第一歩として、ジャーナリストの初仕事にのぞむパトリシアの勝負服。

ボタンに至るまですべてがフレンチボーダーです。

刑事の尾行をまくパトリシア。

撃たれたミッシェルに駆け寄るパトリシア。その駆け寄り方がまた素敵。

このむっちり感がフレンチギャルなのです。

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このドレスは、ディオールのドレス?

ボーダーワンピースのシルエットがよく分かる写真。

ディオールである可能性も否めません。

ちなみにこのドレスは、公開当時、アメリカで、クリスチャン・ディオールのドレスだと言われていました。つまり、ジーン・セバーグが1956年に『聖女ジャンヌ・ダーク』に主演することが決まり、はじめてパリを訪れたときにディオールで購入したドレスこそが、このドレスであり、私物を着ていたという考察なのです。

しかし、現在では、この作品のほとんどの衣装はディスカウントスーパーのプリズニック(Prisunic)で購入されていたことが分かり、このドレスもセバーグがスーパーで選んだものだという意見が一般的となりました。

クリステン・スチュワート主役の映画『セバーグ』(2019)

ストライプに関しても、グレーとも水色とも言われているのですが、カラーの写真が現存していないので、真相は神のみぞ知るです(ちなみにクリステン・スチュワートがジーン・セバーグを演じた2019年の映画『セバーグ』では、このドレスの色は水色と解釈されていました)。


何はともあれ、ジーンは、この作品で60年代のフランスを象徴するファッション・アイコンとなり、ディオールのモデルにも選ばれたのでした。


ちなみに、ものがたりのはじめの方で、ミシェルが、女友達のリリアン(リリアン・ダヴィド)を訪れるシーンで、彼女の鏡台に「ミス ディオール」が置いてあります。このリリアンの撮影は、本当に彼女の自宅のアパートメントで行われました(彼女は当時フランソワ・トリュフォーのガールフレンドでした)。

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「最低って何?」

野良犬のように死んでゆくミシェルを前にして、彼がよくしていた仕草を無意識に真似るパトリシア。

そして、つぶやく「最低って何?」

ミシェルが何度も繰り返していた「唇を親指でなぞる」印象的な仕草。

それは『マルタの鷹』でハンフリー・ボガートの仕草に憧れて真似していたのでした。

この映画は、死を考える青年と、死を考えない若い女性の物語だ。

ジャン=リュック・ゴダール

よたよたと走りながら、明らかに普通の石畳の上で海老ぞりで倒れこむジャン=ポール・ベルモンドの驚異的身体能力。その後にタバコの煙がプカっと・・・そして、「唇を親指でなぞる」仕草をした後に、「まったく最低だ」とつぶやき、自分の目を手で閉じて死ぬ・・・滅びの美学です。

dégueulasse=ひどい、胸がむかつく

最後に「最低って何?」と私たちに向かって問いかけ、ミシェルのように唇を親指でなぞるパトリシア。この瞬間、ジーン・セバーグは、カメラを見返した史上最初の女優となりました。

当時、映画における演技の鉄則は、決してカメラを見るなということでした。なぜなら必死で作った幻想が崩れるからです。その映画の文法をゴダールは打ち破ったのでした。そして、ソフィア・ローレンはこの映画を見た瞬間!「とてつもなく素晴らしいわ!」と驚嘆の声を上げたのでした。

ジーン・セバーグのパトリシアは恐ろしいほどに絶妙だ。詩神、女神、あばずれ。現代映画においてこのすべてをシンプルに体現できた女優はほかにいない。天真爛漫で毅然として淡白でボーイッシュなこのパトリシアというキャラクターは、現代のデイジー・ミラーといったところだ。

ヘンリー・ジェイムズがあのアメリカ人少女の特質として見出したような独立心が、パトリシアにもある。しかし、デイジーのような良心の呵責、ピューリタン的道徳心、高潔な大志などはない。彼女の自由さは、責任感や罪の意識とは相容れないものだ。彼女は存在に、人生に、愛に興味があるふりをして、それらを『試す』。しかし彼女が経験したいのは、そこまでだ。彼女は煩わされたくないのだ。恋人が厄介者になったとき、彼女は恋人を警察に突き出すのである。

ポーリン・ケイル

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ジーン・セバーグは殺された

1957年6月。ロンドン空港。

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片側の肩出しボーダーシャツにブルージーンズ

1960年代のヌーヴェルヴァーグの流れが、映画のみならず、人々のファッションに与えた影響は凄まじいものがありました。そして、映画やテレビドラマといったものが終点に到達した今、若者たちは、過去の「新しいもの」に何かを見い出そうと、再びヌーヴェルヴァーグの作品に興味を示しつつあります。

そんな〝ヌーヴェルヴァーグの女神〟ジーン・セバーグ(1938-1979)は、アメリカ合衆国の中西部にあるアイオワ州で、スウェーデン移民の子として生まれました。12歳の時に、映画館で見たマーロン・ブランドに衝撃を受け、映画女優になりたいと考えるようになりました。

1956年、オットー・プレミンジャー監督の『聖母ジャンヌ・ダーク』のオーディションに参加し、18000人の中から選ばれました。そして、1957年同監督の『悲しみよこんにちは』でセシルカットになり、1960年に『勝手にしやがれ』で世界的大スターになるのですが、以後主演作品に恵まれませんでした(『ドクトルジバゴ』(1965)『卒業』(1967)『アメリカの夜』(1973)のオファーを断っている)。

その反動もあり、1960年代後半に、公民権運動や反戦運動に傾倒します。さらに全国有色人向上協会やブラックパンサーに多額の寄付等のサポートをしたためFBIよりマークされるようになります。1970年妊娠した際に、ブラックパンサーの幹部ハキム・ジャマルの子供ではないかというスキャンダルをFBIの工作によりでっち上げられ、『ニューズウィーク』などの有力誌に流されてしまいます。

そんなストレスの中の出産で、2日後に子供は死にました。以後、精神のバランスを崩し、毎周忌に自殺未遂を繰り返すようになり、仕事もプライベートも不安定になります。

そして、1979年8月30日夜失踪し、11日後の9月8日、パリ郊外に停められたルノーの後部座席で、全裸のまま毛布に包まり、死体になって発見。アルコールとバルビツールによる自殺と鑑定されました(マリリン・モンローと同じ死因)。息子に宛てた遺書にはこう記してありました。「私をどうか許してね。もう私の神経には耐えられません・・・あなたは強く生きるのよ」と。

彼女の葬儀にはジャンーポール・ベルモンドも駆けつけ、列席したのでした。

作品データ

作品名:勝手にしやがれ À bout de souffle (1960)
監督:ジャン=リュック・ゴダール
衣装:クレジットなし
出演者:ジーン・セバーグ/ジャン=ポール・ベルモンド