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『パリの恋人』Vol.9|フレッド・アステアのエレガンス

フレッド・アステア
フレッド・アステア
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この人は、どこまでもエレガントな男性だった。

マレーネ・ディートリッヒが、フレッド・アステアについて3文字で表現して下さいとお題を出されたとき、ただ「エレガント。エレガント。エレガント。」と答えました。

『パリの恋人』の原題は「ファニーフェイス」です。内容は全く別物ですが、流れる数々の曲は、ジョージ・ガーシュウィンが作曲した1927年に大ヒットしたブロードウェイ・ミュージカル「ファニーフェイス」のものです。

この時の主役はアデル&フレッド・アステアでした。そして、このミュージカルで、はじめてアステアはその華麗なるタップダンスのステップを披露したのでした(しかし、あくまでもこの時のアステアは、彼自身も尊敬する偉大なるダンサーである姉アデルの添え物程度の存在でした)。

約30年の時を経て復活した「ファニーフェイス」。それはオードリー・ヘプバーン×ユベール・ド・ジバンシィの本格的なコラボレーションの始まりであり、そこにリチャード・アヴェドンが加わることから生まれるであろう〝想像を絶するファッション・アイコン〟を受け止められるだけの相手役が必要でした。そんなパリを舞台にエレガンスを体現するダンスの出来る男性こそが、当時50代半ばだったフレッド・アステア(1899-1987)だったのでした。

後に、マイケル・ジャクソンが、崇拝するエンターテイナーの筆頭として彼の名を上げ、最も自分のパフォーマンスに影響を与えた映画としてあげた『パリの恋人』。この作品におけるオードリーのクレイジー・ダンス・シーンに触発され、丈の短いパンツに白のソックスとペニーローファーというスタイルが、(マイケル・ジャクソンに)継承されていったのでした。

本作がファッションに与えた影響について語る時、フレッド・アステアの安定感を知る必要があります。オードリー・ヘプバーンとドヴィマの輝きが〝神の如く天翔した〟のは、「エレガント」を体現するフレッド・アステアの存在があったからなのでした。

1927年のミュージカル『ファニーフェイス』のフレッド・アステア。

1934年のミュージカル『コンチネンタル』のフレッド・アステア。

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ブルックス・ブラザーズのボタンダウン・シャツ

スカーフの結び目の見せ方にも常に拘りを見せるアステア。

1896年に、ブルックス・ブラザーズの創業者の孫にあたる当時の社長ジョン・E・ブルックスが、英国でポロ観戦していた時に、選手が着ていたシャツの襟が顔に当たらないように、その襟にボディに留めるボタンが付いていたことから着想を得て、1900年にポロカラーシャツが発売されました。

このポロカラーシャツこそが、一般的にボタンダウン・シャツと呼ばれるものの始まりでした。

それまでノーカラーで、着脱式の硬いカラーを付けていた堅苦しいメンズ・ファッションに、カジュアルの要素が加わることになり、その着心地の良さからすぐにクラシーな男性ファッションとして定着していきました。

そして、クラーク・ゲーブル、ケーリー・グラント、タイロン・パワー、フレッド・アステアといったハリウッドスター達が映画の中でこのシャツを愛用することにより、彼らはボタンダウンシャツを象徴するアイコンとなったのでした。

それはアンディ・ウォーホルが、ブルックス・ブラザーズの白いボタンダウン・シャツしか着なくなるほどにメンズ・ファッションのひとつの洗練として影響を与え今に至っています。

ボタンダウン・シャツを上手く着こなすと、程よいリラックス感と、エレガントさを併せ持つ稀有なスタイルが生まれます。この作品におけるフレッド・アステアのボタンダウン・シャツの着こなしは、まさにタイムレスな男性の装いが生み出す神通力を教えてくれるのです。

  1. 隣にいる女性のファッション・センスをより輝かせ
  2. 精神安定剤のような安心感を周りに与えつつ、モード感も生み出し
  3. 根本に存在する男性のエレガンスを、カジュアルな雰囲気で打ち出す

そんなパワーを生み出せるシャツ。それがボタンダウン・シャツなのです。

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ディック・エイブリーのファッション1

スカーフベルト・ルック
  • ブルックス・ブラザーズの水色のボタンダウン・シャツ
  • 赤ベースのスカーフベルト
  • グレーのテーラード・ワイドパンツ
  • スペクテイターシューズ
  • 金のストールクリップ
  • 左手小指にリング

センスの良さを示す二つのアイテム。ストールクリップとスカーフベルト。

作中ではスカーフベルトにしていたスカーフとストールクリップ

リチャード・アヴェドンの役柄を演じることが出来るハリウッド・スターは彼をおいて他にいません。

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スカーフベルトやボウタイ

『スイング・ホテル 』(1942)のアステアとビング・クロスビー。アステアはスカーフベルトを付けています。

1956年の『戦争と平和』でオードリーと競演し、後に『甘い生活』で大スターになるアニタ・エクバーグ。

フレッド・アステアが、なぜいつもエレガントなのかを教えてくれるポイントとして挙げられるのが、スカーフやネクタイ、ボウタイが生み出す〝男性の優雅さを演出する〟スタイルを拡大した所にあります。

ネックウェアをベルトの代わりに使用するという彼独自のファッション・センスは、「踊る」という感性が生み出した閃きだったのでしょう(古いネクタイやスカーフをベルト代わりに使ったのは、ダンサーとして体重の増減が激しいため、ベルトではズボンを締め切れなかったからでした)。

それは普段の装いではないのですが、ジャケットを脱いだ男性のベルトに巻きつけられたスカーフの存在があると、多くの女性の心はときめくことでしょう。女性は男性の小物に常に興味があり、男性は女性が考えている以上に小物に興味がないものです。

だからこそ、ひとたび一人の男性が、センス良く小物をスタイルの中に溶け込ませていたら、もう女性たちはその男性から目が離せなくなるのです。

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ディック・エイブリーのファッション2

スカーフベルト・ルックPART2
  • アンダーソン&シェパードのライトグレーのジャケット、ノッチラペル、2つボタン
  • ブルックス・ブラザースのブルーのボタンダウン・シャツ
  • ポルカドットのシルクボウタイ
  • グレーのテーラード・ワイドパンツ
  • スエードレザー・オックスフォード
  • ポルカドット入りパープルのスカーフ・ベルト

とても美しいアンダーソン&シェパードのジャケットのシルエット。

鮮やかなブルーシャツとポルカドットのボウタイの見事なアンサンブル。

踊りだしたらもうアステアの優雅さに敵うものは誰もいません。

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アンダーソン&シェパードのジャケット

フレッド・アステアと凱旋門。まさに巴里のアメリカ人です。

そして、カンカン帽。

16才のアレキサンダー・マックイーンが、テレビを見ていたときに、サヴィル・ロウが後継者不足で存続の危機に立たされていることを知りました。次の日にマックイーンは、アンダーソン&シェパードの門をたたき、その場で採用され、2年間働くことになりました。

「オレはアンダーソン&シェパードでズボンの作り方を、その後のギーブス&ホークスでジャケットの作り方を学んだ」。彼こそが、その後、ジバンシィ(1996-2000)の主任デザイナーをつとめ、ジバンシィ復活の狼煙をあげた人なのです。

フレッド・アステアは、ミュージカルのロンドン公演を行う過程で、サヴィル・ロウのアンダーソン&シェパードで仕立てたものを1923年から愛用するようになりました。

それは本作のジャケットでも使用されており、それにカンカン帽(2010年代に日本で西野カナがリバイバルブームを起こす)とブルックス・ブラザーズのピンクのボタンダウン・シャツを見事に合わせています。

アステアのスタイリングの妙は、サヴィル・ロウとアメリカン・クラシック・スタイルの融合にあるのです。それは堅すぎず、少しだけカジュアル、でもエレガントなのです。

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ディック・エイブリーのファッション3

ボンジュールパリ・ルック
  • アンダーソン&シェパードのグレーのジャケット、ノッチラペル、2つボタン
  • ブルックス・ブラザーズのピンクのボタンダウン・シャツ
  • ピンクのシルクタイ
  • ワインレッドのポケットチーフ
  • グレーのテーラードトラウザー
  • スエードレザーのオックスフォード
  • カンカン帽






作品データ

作品名:パリの恋人 Funny Face (1957)
監督:スタンリー・ドーネン
衣装:ユベール・ド・ジバンシィ/イーディス・ヘッド
出演者:オードリー・ヘプバーン/フレッド・アステア/ケイ・トンプソン/ドヴィマ