究極のフレグランスガイド!各ブランドの聖典ページ一覧にすすむ

『熱いトタン屋根の猫』|エリザベス・テイラーとヘレン・ローズ

エリザベス・テイラー
エリザベス・テイラー
この記事は約5分で読めます。
当サイトではアフィリエイト広告を利用しています
2ページの記事です。
スポンサーリンク

作品データ

作品名:熱いトタン屋根の猫 Cat on a Hot Tin Roof (1958)
監督:リチャード・ブルックス
衣装:ヘレン・ローズ
出演者:エリザベス・テイラー/ポール・ニューマン

スポンサーリンク

最も『クレオパトラ』に近かったリズ・テイラー

ポール・ニューマンとエリザベス・テイラー。セックスレスの夫婦という役柄。

エリザベス・テイラーの美しさここに極まれり!

エリザベス・テイラー(1932-2011)が、この作品に出演したとき、それは彼女が他人により創造されたイメージから解き放たれ、自分自身でイメージを作り出していこうと決意した時期でした。この作品こそが、本当の意味での、リズ・テイラーの誕生の瞬間であり、20代半ばにして今の25歳には、到達できない表現の領域に、子役スターが達した<20世紀のクレオパトラ誕生>の瞬間でした。

映像におけるカメラワーク一つとっても、彼女を美しく映し出そうとする瞬間よりも、その演技力の全てを恐ろしく冷淡に映し出していることが、易々と感じ取れます。「冷酷なカメラワークと、リズ・テイラーにとって本物の存在感が試される演技派俳優達との競演。そして、ポール・ニューマンとの対峙」。この映画は、『一人の女性の戦いの記録』でした。

そして、この時、図らずも彼女は、最愛の夫マイク・トッド(彼と、リチャード・バートンと宝石こそが、彼女が生涯愛した三つだと、後にリズ自身回想している)を飛行機事故で失います。悲しみの中、新しい自分を創造するための仕事に対する重圧を背負い、20代半ばの若き女性は、精神のバランスを崩壊寸前にまで追い詰められながらも、ただあの瞬間だけを思い出して、挫けそうになる自分を奮い立たせました。そうです彼女が思い出したのは、『陽のあたる場所』(1951)で競演した時のモンゴメリー・クリフトでした。

彼の体からは実際に汗が噴き出し、目には涙がにじんでいたの。それはジョージ・イーストマンの涙だったわ。私は思った〝彼は何をしてるの、どうしてそんなに涙を流しているの?これは映画の撮影なのに・・・〟私はそれから、演技について考えるようになりました。

エリザベス・テイラー

子役から映画スター(ドラマスター)になった女優にとって最大の難関は大人になった自分のイメージを作ることです。誰もが年を取ります。いつまでたってもそのイメージで生きていくわけにはいきません。エリザベス・テイラーが、「可憐な美少女」の役柄から、演技派女優への転進を目指したきっかけは、『陽のあたる場所』でのモンゴメリー・クリフトとの競演の影響がすごく大きかったと言われています。

それから、リズ・テイラーは、1956年まで、納得のいかない役柄を演じ続けなければなりませんでした。そして、ようやく巡り合った役柄が、『ジャイアンツ』のレズリー役(ジェームズ・ディーンと競演)です。以降、『愛情の花咲く樹』(1957年)でモンゴメリー・クリフトと再度競演を果たし、初めてアカデミー主演女優賞にノミネートされます。いよいよ演技力が開眼し、脂が乗りはじめた20代の半ばの時期の作品それが本作『熱いトタン屋根の猫』でした。リズ・テイラーは、テネシー・ウィリアムズのこの舞台劇の映画版の主役を絶対に獲得することを望んだと言われています(マリリン・モンローもこの主役獲得のため原作者に会っていた)。

スポンサーリンク

グレース王妃のデザイナー、ヘレン・ローズ

まさにクレオパトラのようなリズ・テイラーの横顔。

「ショート・マギー」。当時このヘアスタイルが、大流行しました。

1940年に商品化されたナイロンストッキングが印象的な作品。

ストッキングを直す艶やかな姿は、当時の人々に衝撃を与えました。

マギー・ルック1 ブラウス×タイトスカート
  • プレーンな白のシルク・シャツ。半そでをロールアップ。くるみボタン。オープンカラー
  • オレンジのレザーベルト
  • ベージュのツイードの膝下丈ペンシルスカート
  • ボウ付きのベージュのキトンヒール
  • カラフルストライプのハンドバッグ
  • ゴールドのフープイヤリング、ダイヤモンド・ペンダント付きネックレス、ゴールドバングル
  • ベージュのナイロンストッキング

『花嫁の父』(1950)において、リズ・テイラーは、結婚式を挙げるシーンがありました。そのシーンの撮影のためのウエディング・ドレスをデザインしたのが、1942年から66年までMGMのヘッドデザイナーだったヘレン・ローズです(リズはコンラッド・ヒルトンJrとの結婚式でこのドレスを着用した)。彼女こそが、1956年4月19日にモナコ王妃となるグレース・ケリーのロイヤル・ウエディングのドレスをデザインした人でした。そんな余韻も覚めやらぬ2年後に彼女が、本作のリズのために衣装デザインしたのです(本作の撮影は1958年3月6日から5月19日にかけて行われた。リズの夫が飛行機事故死したのは、3月22日でした。)。当初彼女が用意したコスチュームは、ブラウス×スカートと、スリップの2着でした。しかし、リズ・テイラーが、「華やかなものも一着欲しい」とリクエストし、3着目のシフォン・ドレスが追加されました。

当初、ヘレン・ローズがデザインする予定ではなかったこのシフォン・ドレスが、映画公開後、アメリカ全土において、コピーされ、アパレル業界の興隆のきっかけとなる人気ドレスとなりました。そして、このドレスのデザインが気に入ったリズ・テイラー自身も、ヘレン・ローズに数着のコピーをオーダーしたのでした。1950年代とは、映画スターが、ファッション・トレンドを生み出す時代だったのです。

キム・カーダシアン。2011年。マギー・ザ・キャット・ルック。